イエス・キリストに対して人が抱いている反感について、考えてみよう。人はなぜ、イエスを拒否するのだろうか。
僕は日本人にイエス・キリストを知ってもらおうと何度か話題を持ちかけたことがあるが、いつも答えはこうだった。「遠慮しとくよ。私は日本人だし。」
日本人がイエスを拒む理由は、きっと他にもあると分かっている。この表面的な応えの裏にも、何かもっと深いものが隠されているのは確かだ。しかし僕が今まで日本人の口から聞いたのは、この簡単な応えだけなのだ。
この反応は、あたかもクリスチャンであることと日本人であることが、互いに相反する性質であるかのように聞こえる。それだけではなく、この二つがあまりにも両立し得ないがために、自分が日本人であると言うだけで、相手は「あぁ、そうか。日本人なんだね。それなら、イエスを信じて救われるのは無理だったね」と納得しなければならないかのようだ。
もうここで、ゲームオーバー。会話終了。これ以上は踏み込めない。立ち入り禁止だ。
しかし、本当はそうではないはずだ。日本の国籍や民族性がイエス・キリストを信じる妨げとなっているというのは、実は勘違いにすぎない。キリスト教信仰と日本の歴史に対する誤解が拭いきれていないだけなのだ。しかし、日本人はイエス・キリストについて踏み込んだ会話をしたくないから、このような言い訳を使うんだと僕は思っている。それもまた、珍しいことではない。どんな文化背景があるかに関わらず、人はイエスを避けて通るすべを探すものだ。
どちらにしても、国籍や民族性は言い訳として通らない。なぜなら、世界の歴史の中で、キリスト教ほど国や文化の枠を超えて広まった宗教は他には無いという事実が現にあるからだ。どんな民族性も、国籍も、文化も、キリストに信仰をおく妨げにはなりえないのだ。
キリスト教の信仰は、アメリカ合衆国が存在する200年も前から日本に渡っていた。現在においてはキリスト教の影響と存在感が強いアメリカだが、日本の方が古くからキリスト教に触れていたのだ。その歴史は1500年代にまでさかのぼる。僕は以前、非宗教的な歴史学者による研究で、日本にあったキリスト教会は、1950年より1590年の方が、規模が大きかったと聞いたことがある。しかもその時代には、約30万人もの日本人クリスチャンがいたそうだ。この統計が本当なら、当時「新世界」とも称された地域に住んでいたヨーロッパ人の数より多かったということになる。明らかに、現在に至るまでに何かが起こったようだ。ここで、少し歴史の背景を見てみよう。
15世紀の日本は、各地方で勢力を持つ「大名」と呼ばれる武士によって治められていた。大名は多くの所領を持ち、地方ごとの法や戦力を司っていた。当時、武士の役目には町や村を戦力から守ることも含まれていた。その頃、日本国内では、各地の大名間の争い、侵略、紛争が絶えなかった。後に、これらの勢力は日本海を超え、中国と韓国との複雑な関係を生み出すことになる。
このような時代の中、フランシスコ・ザビエル率いるイエズス会の宣教師たちが来日し、キリスト教信仰を日本に広め始めた。彼らが説いたクリスチャン信仰に問題点を呈する人も少なくないとは思うが、結果として、キリスト教は日本の地に根付き始めたのだ。しかも、一時期はかなりの勢いで普及していった。多くの日本人は、キリスト教の高潔さと生活に密着した教えに魅力を感じたようだ。
その後、16世紀後半になると、豊臣秀吉という大名が勢力を広げ始め、他の武家との戦いに次々と勝利をあげていた。秀吉は初め、キリスト教の普及を食い止めようと条例を定めた。しかし、彼の制圧は弱まり、さほど厳しく取り締まることはなかった。そのため、当時力を持っていた大名や武士たちにはクリスチャンが大勢いた。中には秀吉の側近として仕えた者もいたそうだ。
秀吉は中国の明朝征服を計り、韓国への侵略を命じた。彼は日本を東アジアで最大の国家として建てあげようとしていたのだ。日本軍は韓国軍を倒したが、中国軍が介入してきたため、征服作戦は一旦停止状態となった。そこで秀吉は、兵士たちを日本へ返す代わりに、二度目の攻撃を命じた。しかし、秀吉の軍に中国と韓国を征服するだけの力がないことは明らかだった。その反動もあり、秀吉は再びクリスチャンたちを厳しく取り締まり始めたのだ。彼は26人のクリスチャン(その内20人が日本人)を十字架刑に処した。その中には、3人の子供も含まれていたという。
1598年、秀吉はその生涯を終え、その後1600年に天下を争う戦が勃発する。徳川家康が勝利をおさめ、その後1868年まで徳川幕府が続いた。その頃、韓国・中国征服に失敗したばかりの日本は、国際的な関係にすっかり興味を失ってしまう。そのため徳川家康が日本を鎖国に持ち込んだのは有名な話しだ。わずかな例外はあったものの、日本は他国との交流を完全に打ち切ってしまった。
国内では、幕府にとってキリスト教信仰は脅威と見られるようになった。キリスト教が外国のものだったから、というよりは、クリスチャンたちが結束して幕府に歯向かうことを恐れていたようだ。彼らはキリスト教信仰をもって人々が一致すると、幕府をも脅かすほどの力を持ちうると懸念していた。幕府に対抗する勢力が起こっては面倒だ。そう考えた家康は、キリスト教を禁じる政策を打ち出した。1630年代には、家康の後継者がさらに厳しい弾圧を敢行。1637~1638年の島原の乱は、この政策に対する最後の抵抗だったが、失敗に終わった。結果、12万5千人以上が加わる大規模な内乱となり、幕府は抵抗する者を次々と処刑した。
キリスト教は、正式に非合法となったのだ。信仰を撤回することを拒否する者は拷問にかけられ、死に追いやられた。日本は鎖国を強化し、海外のクリスチャンたちが再び日本に入国することが無いよう、200年以上に渡って国を閉じていた。小規模の地下教会が密かに生き残りはしたが、日本におけるキリスト教の急速な普及は、幕を閉じたのだった。
なぜこの歴史が重要なのだろう。僕は、キリスト教が日本で受け入れられただけでなく、根深く浸透していたという事実が、重要だと思っている。その根を引き抜かれてしまったのは、決して文化的に合わなかったからではなく、脅威となるほどまでに広まったからだ。これは、日本に留まらず、他の国でも同じことが言える。キリスト教はどの文化においても、脅威にも、財産にもありうるのだ。
日本人がキリストを信じるのは、とても難しいことだという声を何度も耳にしたことがある。ある宣教学者によると、日本は世界で最もイエスを受け入れにくい宣教地だと言われている。確かに、難しいという現実はあるだろう。しかし、不可能ではないはずだ。日本人の遺伝子にキリストを受け入れない要素があるわけではないのだ。それは歴史を見ても、聖書を読んでも、明らかなことだ。
神がどうして日本の歴史をこのように動かされたのか、僕には分からない。なぜこれほど多くの日本人クリスチャンたちの血が流されたのか。また、今の時代、なぜこんなにもキリストを信じる人が少ないのか。
しかし、イエス・キリストの福音には、信じる全ての者を救う神の力があると、僕は信じている。500年前の日本に信仰のリバイバルを巻き起こされた神は、またもう一度同じように働かれるはずだ。いや、今度はもっと大きな御業を見せてくださるのかもしれない。
僕たちは日本人がキリストを信じるようになって欲しいと思っている。なぜなら、その信仰こそが、彼らが今までに経験したことのない喜びをもたらすと確信しているからだ。「あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(詩篇16篇11節)
僕は、日本全国に福音が広がり、そこからさらに世界へと広がっていくのを見たい。そしていつか、日本人であってもイエス・キリストに従うことができるのだと、誰の目にも明らかになる日が来ることを、祈り待ち望んでいる。