ホビットから宣教へ

僕たちが(神のみこころならば)日本に行く、ということを話すと、周囲から、「どうして日本なの?」とか、「どうやって決断したの?」とか、それに似た質問が返ってくる。僕の答えとしては、多分100通りぐらいあって、もちろん全て100%正直な答えだが、大抵僕は相手が求めている答えを返すことにしている。「最近、このようなことが起きて、こういうこともあって、こういう決断をするに至ったんだ」という風に、説明する。これを僕は、体験的な答えと呼んでいる。

でも時々、それとは違った答えを返すこともある。聖書的には、僕たちはあらゆる国々でキリストの弟子をつくるようにと命じられているから。宣教論的には、日本人は世界で最も福音が伝えられていない民族であるから。個人的には、スシと速い電車が好きだから。同情心的には、日本はうつ病と自殺の死亡率が世界で最も高い国の一つだから。神学的には、イエス・キリストが全ての主であって、全ての民族に礼拝されるべきお方であるから。職業的には、僕たちの賜物、経験、そして想いが、日本での宣教の働きに合っているから。これ以外にも、まだまだ答えは沢山ある。

しかし、誰にも言っていないけれど本当は言いたくてたまらない秘密の答えが、実はあるのだ。僕は昔から、ロード・オブ・ザ・リング三部作を読みふけって育った人間だ(映画も、もちろん何度も観た)。胸を張って言えることでもないのだが、本の中で暗記してしまった部分もある。僕が異文化宣教の道を進むうえでこれほど大きな影響を与えた本は、聖書を除いて、他には無い。

驚かせてしまっただろうか?もしそうなら、今すぐこのブログを読むのはやめて、ロード・オブ・ザ・リングを読み始めることを薦める。

キャサリンと結婚してからは、僕の「ロード・オブ・ザ・リングタイム」を大幅に削らなければならなかった。結婚に犠牲はつきものだ。そこで僕は、クリスマスの時期のみ、隔年で本と映画を交互に楽しむことにした。このパターンをしばらく続けてきて分かったことがある。それは、シリーズを読み終えると僕は必ずホビット分離不安症に陥るので、「王の帰還」の半分ぐらいに差し掛かる頃からそのための心構えをしなければならないということだ。そして完読後、僕は例外なく悲しみに暮れる。

ロード・オブ・ザ・リングのファンに言わせると、この症状はごく普通のことなのだそうだ。この物語には独特な現実感があり、日常の生活を忘れさせるものがある。そしてついにミドルアース(中つ国)を離れる時には、僕はふるさとを離れるかのような気持ちになっているのだ。

つまり、言いたいことはこうだ。神が歩ませてくださる人生の物語は、アメリカンドリームのようなものではなく、ロード・オブ・ザ・リングのように壮大な物語であるということ。人は自分自身や家族の安心や保証ばかりを追い求めるために存在しているのではなく、何かとてつもなく大きなもののために生き、戦うために存在している。そのような人生観を、トールキンの三部作は巧みに映し出しているように思う。

ロード・オブ・ザ・リングの物語は、僕の価値観が形作られる上で大きく影響した。そのためか、僕はいつも冒険を求めていたように思う。それも只の冒険ではなく、自分の命を投げ出しても構わないと思うほどの親友と共に歩む、意味のある冒険だ。僕は、シャイアで何者とも戦うことなく美と安らぎの中で生きるくらいなら、フロド・バギンズのように何もかも投げ打って生きる人生を歩みたい。この内なる衝動は、長い年月を経て、神の不思議な計らいによって日本への宣教の道へと繋がっていった。だから、僕たちは、行くのだ。

このことをブログに書いたのには、理由がある。正確には、理由は二つだ。まず一つ目は、もっとロード・オブ・ザ・リングやそのような壮大な物語を読む人が増えてほしいとの願いからだ。そして、ぜひ子供たちにも読んであげてほしい。国内・国外に関わらず、将来の宣教の訓練と思えばいい。僕も、エズラが一か月になってからホビットの物語を読み始めた。いきなり三部作を読むより、こちらの方が「対象年齢」が低いから赤ちゃんにはちょうど良いだろう。

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二つ目の理由は、僕は最近、神が人を育て、導き、遣わす過程の中で、いかに多くの出来事や経験が用いられているかということに気付き、圧倒されたからだ。子供の頃、父の運転でアイオワ州アイダ・グローブへよくドライブしたが、その時に車内で流れていたロード・オブ・ザ・リングのテープが、まさか幼い僕の宣教の心を育んでいたなんて、父には想像もつかなかっただろう。ピーター・ジャクソンが映画を作ったのも、もちろんそういう目的ではなかったはずだ。

しかし、結果的に、僕に大きな影響をもたらすことになった。日々の生活の中には、他にも何千・何万という小さな出来事が起こっていて、神がそれらをどのように用いられるかなんて、到底僕たちには分からない。しかし神はとるに足らない些細な事を用いて、私たちを形造り、みこころのままに導き、果たすべき役割を与えてくださるのだ。またそれは神を愛する者にとって必ず良いもので、彼らは神の目的のために用いられる。神のそういうところが、僕は大好きだ。神は、あらゆる方法で国々を信仰に従わせる。ホビットさえも、用いて。