仮住まいの日々

先週、4年間住んだ家に僕たちは別れを告げた。その家は小さな、いわゆるメゾネットタイプの建物で、いつもスターウォーズに出てくる戦闘機を思わせた。僕たちが「ホーム」と呼んでいた1階部分は、広告に掲載されていた45畳よりもずっと狭く、もともと100年前の設計で印刷機を入れるためのスペースだったそうだ。窓は古すぎて、開け閉めの度にペンキが剥がれ落ちて頭に降りかかる。冬の寒い時期は、何百ドルも暖房にお金をかけても、やっと我慢出来る寒さに達する程度だ。床はギシギシ音がして、赤ん坊を起こしてしまう。バスタブは無く、てんとう虫が沢山いる。ガレージのドアは、スクワットができて何十キロものダンベルを持ち上げられる人にしか開けられない。その割には、ガレージは小さすぎて自転車ぐらいしか入らなかったから、大した不便はなかったが。

何はともあれ、それが我が家だったし、何故だかよく分からないが、離れるのは少し寂しい。きっと、その場所が僕たちの2人の子供たちを初めて連れ帰った家だからだろう。彼らにとっては、そこが唯一の家だった。ミシシッピ川のすぐ近くに住み、土手を散歩できたのも良かった。夏にはジョンソンさん夫妻の庭の芝刈りをし、冬には彼らの家の前の雪かきもした。砂場や水たまりで近所の子供たちと遊んだ。本当に、近所の人たちに恵まれていたので、彼らと離れるのはとても寂しい。

僕たちが選んだ人生は、きっとこれからも移動ばかりの人生になるのだろう。一つの場所に根を下

ろして「ホーム」と呼べるまでに慣れ親しんできたと思ったら、またすぐにその根っこを引き抜き、次の場所へと向かう。変化の多い生活には乗り越えるべき試練も多い。(今回、ソファをクリスおじさんに譲った時、バイオレットはソファにすがりついて「わたしのソファだよ、パパ!」と泣いていた。)

しかしそれと同時に、大切なことをいつも僕たち夫婦や子供たちに思い起こさせてくれる。それは、この世界は僕たちのホームではないということだ。一つの場所に長く住み続けることもできるし、ある意味住む場所が決まっていないと生活ができないが、それでもこの世に永遠に住み続けるのではない。ここはイエス・キリストが戻られるまでの、仮住まいなのだ。

ヨハネの福音書14章1~3節で、イエスはこう仰っている。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えにいくのです。わたしが言って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」

父なる神が住まいを用意してくださっているから、僕たちは心を騒がせることはない。イエス・キリストは天におられ、場所を備えてくださっている。そして、また来られるその時、主は僕たちを天の住まいに迎え入れ、とこしえに共にいてくださるのだ。そこでついに僕たちは深く根ざし、もう2度とその根を引き抜くことはない。そしてこの住まいには、今からでも根ざし始めることができる。僕たちがどこに行こうと、そこから離れる必要はない。そう、イエス・キリストご自身が、僕たちの住まいなのだ。

 

引越しは沢山の人に助けてもらった。駆けつけてくれた皆さん、本当にありがとう。おじいちゃん、おばあちゃん、ばぁば、ベン、マリア、ジョエル、レブ、リジー、モライヤ、トレバー、スコット、ブラッド、エリオット、そしてフォーサム・ファイン・メンズ・アパレルトラックの活躍に感謝。