キャサリンの物語

2011年の春、私(キャサリン)は幼稚園の教員として働き、ジェイミソンは神学校で2年目の学びを終えようとしていました。忘れもしないある日のこと。私が職場にいる間、ジェイミソンは家で勉強をしていました。すると突然、携帯にメールが届きました。見てみると、ジェイミソンからです。

「日本に住むのって、どう思う?」

私はその時、返信すらしなかったと思います。しかし5年経った今、私たちは家族で移住する準備を進めているのです。日出ずる国に住むために。

私は信仰深い両親のもとで育ちましたが、自分が宣教師になろうとは夢にも思いませんでした。私はずっと、母親になるのが夢だったのです。周りの子たちは、将来なりたいものと言えば、宇宙飛行士、警察官、プロのバスケットボールの選手…など様々でしたが、私だけは違いました。私は、母親になりたかったのです。ジェイミソンはそのことを度々思い起こし、私が特に子育てに疲れている時に、「君はまさに夢を生きているじゃないか」と言います。もちろん、現実は夢見心地でいられるような日々ではありませんが…。

2011年に届いたあの突拍子もないメール以来、私たちは日本へ行く可能性を探りつつ祈り始めました。神様は立て続けに私たちの祈りに応え、扉を開いてくださいました。日本への扉をくぐり抜ける度に、主はまた次の扉を開かれました。神様がそうされる度に、私はますます主に頼り力と信仰を頂かなければ、前進すらできない自分に気付きました。

私は自分が宣教師にふさわしいと思ったことは一度もありません。私は、いわゆる伝道者や弟子をつくる働きをするような、外交的な性格ではないからです。私は内気で、誰かをイエス・キリストのもとへ導くのも一体どうすればいいのか分かりません。私は弱い人間です。

しかし主はこう語っておられます。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」(コリント人への手紙第二12章9節)

次第に私は神様に頼るようになりました。そうすれば、私の力不足や弱さのゆえに、神様の力がよりまぶしく輝くのだと分かったのです。この5年間を通して、私は自分に宣教師になる能力は無いという事実を受け入れるようになりました。同じように、私には母親になる能力もありません。その力が無いと知ることこそが、唯一、その役割を果たす力となるのです。私にはできません。神様にしかできないのです。そして神様は、歴史が証明するように、私のように弱い人間を用いてくださるお方なのです。

弱さを受け入れることができると、宣教への召しも受け入れることができました。世界のどこにいても、母親業はできます。もし、まだイエス様を知らない母親たちに囲まれて母親業ができるとしたら?もし、私の子供たちが、まだ一度も福音を聞いたことのないお友達と仲良くなれたら?

実りは多いが、働き手は少ない。私は、母親も働き手になれるのではないかと思っています。特に、日本のような国ではなおさらかもしれません。父親が職場で長い時間働き、母親はさらに長い一日を家で過ごすような、そんな環境の中で。

皮肉なことに、周りの皆は日本に行ったらジェイミソンより私の方が伝道の機会は多いだろうと言います。神様はきっと、世界中の弱い母親たちが一日一日を乗り切る力を主から得ることで、神の栄光がすべてにおいて輝くことを願っておられるのかもしれません。