キリストの麗しさ

サミュエル・ラザフォードは1600年生まれのスコットランド人の牧師だった。彼の生い立ちについてはあまり明らかになっていないが、彼が牧会していた人々へ宛てた手紙からは、彼の人となりが滲み出ているように思う。そしてその愛に満ちた手紙から、はっきりと分かることが2つある。1つは、彼が多くの苦しみを経験していたこと。もう1つは、その苦しみの中で、彼が主の恵みを多く体験したということだ。

最近の試練 — 僕たちの日常の小さな試練や、友人が通った大きな試練 — について考えていたとき、ふとサミュエル・ラザフォードの手紙がもう一度読みたくなった。バナー・オブ・トゥルース社が「The Loveliness of Christ(キリストの麗しさ)」と題した冊子を出版してくれたおかげで、今はラザフォード師の言葉を身近に味わうことができるようになった。

この本は、僕が困難な状況の中にある時にもなおイエス・キリストを愛する助けとなった、大切な本だ。そして僕が多くの人々、特に苦しみの中にいる人たちに、キリストを伝えたいと思い、そのことが自分に与えられている召しだと考え始めたことにも、この本は大きく影響している。

ここにラザフォード師の言葉をいくつか紹介するので、一読いただきたい。そして、ぜひ本を購入し、あなた自身のため、また友人を励ますために、イエス・キリストにある新たな慰めを得ることができたらと願っている。

 

「たとえその道(クリスチャンの歩み)が平坦で容易でなくとも、

また人生の嵐が不当で厳しくあっても、

目に見えない神とその御国を目にした者は、決して嘆かず怒らない。

全てを捨てたとしても、主にあり続けよう。約束の城を勝ち取るまで、全てを投げ出そう。

その城の鍵はすでにあなたのために勝ち取られている。

さあ、あなたが扉を開くだけだ。」(10ページ)

 

「罪人をキリストへと引き寄せる唯一のもの、それは極限の困窮だ。

財布を失った貧しい者の贖い金を払おうと、キリストの愛が待っている。」(13ページ)

 

「キリストの胸に頭を休ませている者が多くいても、

そこにはあなたにも、他の誰にでも、十分な場所が確保されている。」(21ページ)

 

「我々が天の故郷に入り、兄弟なるイエスの御国を相続するとき、

頭にはとこしえに輝く栄光の冠を受け、その重みを感じるとき、

この世の痛みや苦しみを振り返るとき、

地上での人生と悲しみは、栄光へと繋がるほんの一歩であり、

その日々、その苦しみは、天で過ごす一夜ほどにも満たないことに気付くだろう。」(19ページ)

 

「主イエスが絆創膏をくださるなら、傷があろうとも不満はない。

病を患う者は幸いだ。麗しいキリストの御手が近づき、主が聖いその御手で、優しく、私の荒れて汚れた肌に触れてくださるから。

病に伏すことは主からの恵みだ。キリストを寝床のそばに引き寄せてくれるから。

「気分はどうだ」と聞いてくださる主の御声に、痛みに耐えた全ての夜が報われる。」(22ページ)

 

「あぁ、悲しむべきことよ。これほど広く、これほど深く、全てに勝る素晴らしさと麗しさに満ちたキリスト・イエスがおられるのに、彼を受け入れる者は何と少ないことか。

あぁ、飢え渇いた貧しい魂よ。なぜその空の杯を持って、麗しく、広く、深い命の源に来て、その井戸で杯を満たさないのか?

あぁ、麗しいキリストはまことに偉大で尊くあられるのに、なぜ小さく弱い、心の狭い、喜びを知らない私たちが、そのキリストを拒むのか。

空しいものに愛を注ぎ、なぜこのお方に注がないのか。」(5ページ)