今朝、最近の調査を引用した、BBCのある記事を読んだ。そこには「日本人の若者のうち約80%が、この調査を行った週、絶望を感じていた。そのうち、3人に1人は、40歳になった時に自分が幸せになっていると思えないと答えた」と書いてあった。(記事全文はここをクリック)。
この記事は、教育改革こそが日本社会におけるうつ病の問題を改善する鍵となるか、との問いを投げかけていた。どうやら海外留学をすることも解決の一つとして勧めているようだ。
最近僕は、ある日本人の留学生とお茶をする機会があった。彼は、先ほどの記事にある「若者」に間違いなく当てはまるタイプの学生だった。現在に絶望し、将来に希望が持てない。彼は自分をクリスチャンだとは思っていないし、キリストを信じ受け入れるにはまだ早いと感じているようだが、聖書を学ぶことに関しては興味を示していた。彼を見ていると、彼が希望を託せる、具体的な何かを探していることが分かる。その何かを探しに海外に来たようだが、まだそれを見つけられていないのだ。
2人でコーヒーを飲みながら、クリスチャン信仰の核心を彼に伝えようと、僕は全力を尽くした。
アダムの罪から、この世界は神に逆らう世界となった。そんな世界を、神はどうされると思う?世界を罪に定め、僕たちも有罪にされるだろうか?それ以外の方法はあるのだろうか?そこで僕はヨハネの福音書3章16節を読んだ。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
神には、選択肢があった。この世界を罪に定めるか、それとも救うか。神は救うことを選ばれたんだ。そこでイエスが人となって来られた。イエスは人に仕え、苦しみ、そして死なれた。これは全て実際に起こったことだ。イエスは、歴史上存在し、死なれたんだ。十字架でイエスが受けられた罰は、僕たちが神に逆らった罪のためだ。そして、すごいことに、イエスはよみがえられた。イースターはこの復活のお祝いなんだよ!これを信じる人には、永遠のいのちがある。キリストを信じる人には、途絶えることのない希望がある。今からこの先ずっと、永遠に、クリスチャンは、神が例外なく、全てのことにおいて最善をなしてくださると期待できる。
このメッセージは僕たちには聞き慣れたものだし、当たり前のことのように感じてしまうことが多いだろう。だけど、日本人であるこの友人は、このことを全く初めて耳にしたようだった。そして彼はこう応えた。「これこそ、日本が必要としていることだ。」 彼は続けて、言った。「こんな風に愛されることを、僕たちは知らない。」
イエス・キリストの福音には素晴らしい力がある。絶望の鎖を断ち切ることのできる力。僕もこの力を経験した。そしてこの力こそ、40歳になっても、ずっとその先も永遠に、希望をもたらすことができる力だ。日本が今、教育を見直そうとしていることを嬉しく思うし、それが必要だろうと言われている。しかし僕は、日本の大勢の人がキリストを信じたなら、その方がもっと嬉しいだろう。
僕たちは日本に行って、この絶えることのない喜びを伝えたい。このブログを始めたのも、家族や友だちの皆さんが僕たちと共にこの道を歩むことができたらと思ったからです。
日本の喜びのために。
ジェイミソン (キャサリン、エズラ、バイオレットも共に)