恥、自殺、そして揺るぎない希望

10代の日本人の間で最も多い死因は、自殺だそうだ。自殺の主な理由は学校に関係することが多い ― いじめや受験のストレス、世間体などが主だ。そのため、1年で若者の自殺が最も多いとされている日は9月1日、つまり夏休み明けの初日なのだ(これに関するBBCの最近の記事はここをクリック)。

あなたは、「~するくらいなら死んだ方がましだ」と思ったことがあるだろうか?日本では、すでに多くの若者が、学校へ戻るくらいなら…と文字通り死を選んでいる。

僕たちが喜びを強調するのは、意図的でもある。なぜなら、日本に関する様々な現実を耳にする度に、この国には本当の希望に根ざした幸福感が欠如していて、そこに喜びが必要とされていることを感じずにはいられないからだ。

喜びを強調する、僕の個人的な理由もある。イエスにあって幸せであることは、僕たち家族にとって大きな意味を持っているからだ。少なくとも僕(ジェイミソン)は、イエスと出会っていなければ今は生きていないはずだ。昔は僕も、学校へ行くぐらいなら死んでしまいたいと思っていた時期があった。日本の学生ほど重たいプレッシャーではなかったと思うが、望んでいたことは同じだった。

しかし、このような経験をしたのは僕だけではないと確信をもって言える。ほとんどの人は、人生のどこかで自分自身や親しい人が抱える絶望感と戦うだろう。あなたの近所に住む人も、見かけほど幸せではないのかもしれない。行きつけのカフェの店員さんも、今朝起きるのが億劫だったかもしれない。あなたにコーヒーを淹れる時だって、あなたが思うほど楽しんではいないのかもしれない。あなたがスマートフォンにそれほど沢山の時間を費やすのは、考える余裕ができてしまうとつい襲ってくる憂うつから逃れるためではないだろうか?

僕の経験から言うと、うつは人を騙す。問題に立ち向かうより、死ぬ(もしくは引きこもる)方がましだと思い込ませる。また、うつは欲望を歪ませる。目の前のカミソリに砂糖を塗りたくり、それがケーキだと思い込ませる。しかし決してそれを食べてはいけない。イエスはいのちのパンだ。イエスにすがるなら、もう決して飢えることはない。イエスは歪んだ欲望を正し、いのちを奪うものではなく、いのちを与えるものを欲するようにと変えてくださる。

僕は全てを単純化したり、必要以上に霊的なことばかり言ったりはしたくない。うつや自殺は複雑な問題だから、あらゆる角度からアプローチする必要がある。神は僕たちに肉体的な身体を与えられた。身体の状態は、魂の状態に大きく影響するので、うつの身体的な症状が薬だけで改善されてもおかしくないはずだ。確かに、うつの症状の中には薬の投与が必要なものもあるだろう。個人的には、睡眠、運動、そして一杯のコーヒーなどでも、気分の落ち込みから多少なりとも遠ざける助けとなると思っている。

しかし、日本の若者たちをこれほどにまで破壊している絶望感を打ち砕くことができるのは、イエス・キリストの福音の力だと、僕は信じている。

自殺を原因に命を失う若者たちは皆、似たような問題を抱えているように思う ― 恥、恐れ、人間関係の歪み。彼らは自分の存在や行動に嫌気がさし、もう何をしても自分自身の失敗から回復できないと信じ切っている。彼らは、見下され、冷やかしやいじめを受け、好奇の目にさらされても、相手を恐れて向き合えない。そして彼らには深い、信頼できる人間関係がなく、社会のシステムも彼らを守ってはくれない。そして何よりも、彼らには今後その状況が改善するかもしれないという希望すらないのだ。

しかし、イエス・キリストにあって希望はある。僕がうつに陥った時、その絶望感を消し去ってくれる最も素晴らしい、強力な解決方法はこれなのだ。全能の神、キリストが、常に、どんな状況においても、僕の味方でいてくださると知ること。これほどに、恥や恐れ、人間関係の歪みのトゲを、徹底的に消し去ってくれるものは他にない。主の一方的な愛が、僕を絶望の暗闇から何度も何度も救い出してくれたのだ。

ある牧師はこう言っていた。この世で一番素晴らしい本の中の、一番素晴らしい手紙に書かれている、一番素晴らしい章は、ローマ人への手紙8章だと。僕もそれには賛成せざるをえない。特に絶望の中にある人に希望を与えるには、この章は最適だと思う。ここで一部紹介したいと思う。

恥について:

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ人への手紙8章1節)

キリストの内にあるなら、あなたは恥から解放される。あなたがどんな人間であるか、また何をしたかについて、神は何も責めない。その代わりに、神はひとり子であるキリストをこの世に遣わされ、そのキリストがあなたの身代わりとして、ののしられ、打たれ、そして死なれたのだ。

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ人への手紙8章32節)

あなたが罪悪感や劣等感から解放され神に近づくことができるように、神は最大限のことをしてくださったのだ。あなたは確かに、恥ずべき罪を犯した。しかし、イエスを信じ、神に立ち返るなら、もうそのことを恥じる必要はない。

恐れについて:

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)

これほど、神を信じるすべての人に与えられている約束が他にあるだろうか。「すべてのこと」を、神が益としてくださる。また、こうも書いてある。

「私は確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ人への手紙8章38~39節)

神の愛から私たちを引き離すものは何もない。世界中を探し回っても、それができるものは何一つ見つからない。主はご自身を信じる者を、その深い愛で結ばれたのだ。神のことばが真実である限り、あなたは恐れる必要はない。全てが益として用いられなければならない。いじめも、受験も含めて。

人間関係について:

「あなたがたは、…子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父よ!』と呼びます。」(ローマ人への手紙8章15節)

日本の一般的なサラリーマンが我が子と過ごしている時間は、平均して1日17分だそうだ。しかし、父なる神は決してあなたを離れず、あなたを見捨てない。神はあなたを招き入れ、子としてくださり、永遠に共にいてくださる。誰よりも悲しみを知っているイエス・キリストは、聖霊を通して私たちの苦しみを理解し、涙を共に流してくださる。私たちを慰め、励まし、兄弟や友人のように、共に困難の中を歩んでくださる。

希望について:

「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」(ローマ人への手紙8章18節)

いつの日か、キリストにあって義とされた私たちを、神は栄光に招き入れてくださる。その日、全ては新しくなり、今ある絶望も苦しみも、望みに変わるのだ。必ず、希望はある。

10年ほど前、こんな人生なんて終わってしまえと思っていた時、イエスは僕の人生を希望で生き返らせてくださった。そして主は日本でも同じことをしてくださるのだと、僕たちは信じている。

僕たちが日本で加わる予定のCBI(キリスト聖書学園)は、クリスチャン・カウンセリングの働きを始めようとしているそうだ。これはとても素晴らしいことだと思う。詳しい情報については、ぜひここをクリックして、その詳細を読んでいただきたい。僕たちはこの働きが、「傷ついた日本人に、キリストにある真実で個人的な癒し」をもたらすことができると期待している。

この大切な働きを始めるCBIのために、ぜひお祈りください。そして、キリストにある喜びが、日本にもたらされますように。